私のかけら 06  長谷部千彩

――これはかけら。季節のかけら。東京のかけら。私のかけら。

8月×日 記念日

先週完成させた原稿、無事、クライアントチェックが通り、文字校正の段階へ。アパレルブランドが無料配布する冊子に掲載されるショートストーリーだったので、細かい修正希望が出るかも、と覚悟していたけれど、特になし、ということでほっとした。
夜、お祝い事があり、会食へ。中華料理をコースで食べる。北京ダックが美味しかった。

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8月×日 ゲラ直し

昼、広東語のレッスン。その後、サンドウィッチのランチを取り、ジムへ。帰宅後、ゲラ直し。

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8月×日 打ち上げ

夜、単行本『私が好きなあなたの匂い』出版の打ち上げへ。久しぶりに装幀家の佐々木曉さんに会う。話題はもっぱら、“男性が香水をつけること”について。香水をつけない曉さんに言わせると、香水をつけない男性にとって、香水は、つける行為以前に、買う行為にも高いハードルがあるらしい。なぜ男性たちがそんなに香水に対して心理的抵抗を感じるのか、興味深い話なので、根掘り葉掘り質問してみたけれど、10代の頃から香水を使い続けている私には、正直理解しづらい話ばかりだった。男心は難しい・・・。
翻って、自分はどうして香水をつけるのか、と考えてみると、私の場合、理由はいたって単純、いい匂いが好き、いい匂いを自分が嗅ぎたい、それが一番大きい。モノトーンよりカラフルなもののほうが楽しいから好き、嗅覚においてもまた然り、みたいな感じ。そういう意味では、私は享楽的な人間なのだと思う。(いい匂いが)好き→つける→楽しい、としか考えていないから。
打ち上げの間中、曉さんに似合う香水をずっと考えていたけれど、決定打が浮かぶ前にお開きに。次の本も曉さんに装幀をお願いできるといいな、と思いつつ、霧雨降る四谷で別れる。

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8月×日 イメージチェンジ

肩に届きそうだった髪を、ばっさり顎の長さで切り、デジタルパーマをかけてみた。長い間、ストレートにしていたので、だいぶ印象が変わったと思う。気分もサッパリ。新鮮な感じ。
ストレートに飽きていたというのもあるけれど、ジムに通い始め、自宅以外の場所でシャワーを浴びることが多くなったので、手軽さを求めたというのが、髪型を変えた一番の理由。この頃、何をするにしても、“ジムに行くから”がきっかけになっているような気がする。いつまで続くか、自分でも半信半疑だけれど、いまのところ、ジム通いは楽しい。

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8月×日 植物だって生きてるじゃんよ

髪型を変えて二日目、鏡の中の自分にまだ慣れない。似合っているのかどうかもわからず、落ち着かない気分。
今日の打ち合わせは、私が説明しなければならないことが多かったのでとても緊張した。好きなコーヒーも喉を通らず。でも、つたない私の説明を、Mさんがよく理解してくれて、救われたと思う。Mさん、私よりもずっと年下なのに、私よりもずっとしっかりしている。
帰宅後、たまっていた仕事のメールに黙々と返事を書く。
夕食後、アニメ鑑賞、『スペース☆ダンディ』(第9話「植物だって生きてるじゃんよ」)。植物が進化し、言葉を喋ったり、意志を持って動き回ったりする世界。絵も色使いも幻想的で素敵。二回観てしまった。

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8月×日 ア ラ ローズ

八月六日、原爆の日。広島では平和記念式典が。

今日も東京は30度超え。汗を拭きながら、朝からジムへ。向かう途中、道端に咲くムクゲに目を奪われる。薄いピンクの花弁が綺麗。
ジムは日曜なのですごく混んでいた。ウォーキングマシンもふさがっていて使えず。折角行ったのに、予定のメニューをこなせなくてがっかり。
帰宅後、フランシス・クルジャンの「ア ラ ローズ」(香水)をつけて仕事。ふっくらしたバラの香りに癒される(「ア ラ ローズ」、清潔感のある香りなので、真夏にも意外と合う)。
夜、読書。ブラッドベリの短編小説集『猫のパジャマ』を読む。

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8月×日 悩ましい

毎日毎日こう暑いと、気にかかるのも気温のことばかりで、原稿が一向に進まない。どうせ捗らないのなら、いっそ夏の間は書くのを止めて、こなすのは事務仕事のみ、と割り切ってみようかと考えたり。旅行に出たいとも思うけど、これからというと、お盆休みとぶつかってしまうし、八月はいろいろと悩ましい。

午後、memorandomの打ち合わせ。カジヒデキ君、SHOKOさんと。お題は秋に連載再開する『SHOKO’s song book』について。久しぶりにふたりに会い、お喋りもできて楽しかった。 それにしても。こんなに蒸すのに、SHOKOさんはきちんとリキッドアイライナーでアイラインをひいていた。私などは汗で崩れるのが嫌で最低限のメイクしかしていないというのに。女子力という言葉は使いたくないけれど、こういう時期にはお洒落に対する志の差は出るかもしれない。私の夏の志は低い。

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8月×日 八月の天気

深夜に雨は降ったものの、東京に台風はやって来なかった。その代わり、窓の外に広がっているのは青い空と白い雲。そして眩しい光。絵にかいたような八月の天気。帽子を被ってジムへ行く。途中、眺めた道端のムクゲは、昨日の雨のおかげか、今日は、たくさんの花を生き生きと咲かせていた。今年はこれといって夏の花を育てていないから、このムクゲを見るのが日々の楽しみ。

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8月×日 新しい遊び

東京の気温は36度。今日は、この夏、一番の暑さらしい。午後、所用があり、事務所へ行く。歩いていると、ポタポタこめかみから汗が流れ落ちるのでびっくりした。
用事を済ませ、事務所スタッフYと軽い雑談。最近、はまっていることは何か、という話に。Yは週一でプールに通っているという。私は言わずもがな、スポーツジム(といっても軽い運動しかしていないけど)とアニメ鑑賞。「そういえば、Sさんも、毎晩ホットヨガに通っていると言っていましたよ」へぇ・・・Sさんも・・・。みんな体を動かすほうに興味がいっているだなんて、ネットに飽きているのかしら、とぼんやり思う。この間も、打ち合わせのときに、インスタグラムに飽きてきたという話題が出たし――なんて、そこに相関関係があるのかどうかはわからないけれど。
夜、マヤコフスキーの『私自身』を読む。まだ面白さがわからない。

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8月×日 ピンボール

運動嫌いの私がジムに通っているだなんて、自分でも驚きだけど、ここまで来たのだと思うと少し嬉しい。というのも、二年前の夏、体調がひどく悪い時期があったから。あのときは、食も細かったし、体力もなくてフラフラだった。それが、いまでは、運動不足解消に勤しむ日々。もちろん、まだ始めたばかりで、長く続けられるか、自信は全然ないけれど。ともあれ、いまは、体を動かす習慣を身につけるのが目標、頑張ろうと思っている。そのために髪も切ったしね。というか、ジム通いを始めなければ、髪を切らずにいただろうと思うと、なんだか不思議。なにしろ25年も続けていた髪型(ストレートのショートボブ)を変えたのだから、ホント、人間、何がきっかけで行動を起こすか、わからないものです。どこに跳ね返っていくか予測がつかないピンボールみたいね。

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8月×日 赤い小瓶

昨夜、お友達との夕食を済ませて帰宅すると、事務所スタッフYからの電話が鳴った。急ぎの原稿の依頼だった。返事は一晩待ってもらうことに。思いもよらぬ提案に戸惑ってしまったから。打ち合わせのセッティングを頼み、電話を切って、それから私は、おもむろに香水を選び始めた。もしも依頼を引き受けるとしたら、書かれるべき物語は、香りに例えればどんなイメージだろう――そう考えたのだ。ぐっと押し出す香り、重さのある甘さ、後をひくようなセクシーさ・・・私は、トム・フォードの赤い小瓶を取り出し、自分の腕に、首筋に吹き付けた。私自身は使わない。だけど、こういう匂いのする女が主人公だったらいいな、と思った。
一夜明け、その仕事は、引き受けようか、断ろうか、正直まだ迷っている。頬杖をついた手首からほのかに漂うジャスミンの香り。この匂いを嗅ぐと、書けそうな気もしてくるけれど・・・。どうしよう、早く返事を戻さなきゃ・・・。

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8月×日 私自身

終日、読書。ウラジミール・マヤコフスキー『私自身』を読む。

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8月×日 月に囚われた男

夕方、Mさんと駒込駅で待ち合わせ、moonbow cinemaの上映会へ行く。本日の作品は、ダンカン・ジョーンズ監督『月に囚われた男』。会場は、洞窟のような雰囲気を持つ小さな貸しスペース、La Grotteだった(moonbow cinemaは、作品のストーリーに合わせて会場を選び、催されている自主上映会)。
物語は、近未来、地球から月面基地へと派遣され、たったひとりで3年の勤務につく男が主人公のSFミステリー。あらすじだけ追うと背筋が寒くなるようなお話なのだけれど、美術や特撮がノスタルジックでチャーミング、低予算ということもあり、なんとなく微笑ましい映画だった(AIのガーティが可愛い)。
帰宅後、調べると、Amazonのプライムビデオでも観られるとのこと。途中、わかりづらいところもあったので、結末を知った上で、もう一度、観直してみたい。

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8月×日 雨上がり

午後、打ち合わせ。依頼されていた原稿は引き受けることに決める。

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8月×日 終戦記念日

終戦記念日。朝、起きてジムへ。帰宅後、原稿書き。