私のかけら 02  長谷部千彩

――これはかけら。季節のかけら。東京のかけら。私のかけら。

6月×日 嘆き

昨夜は、『インド 第三の性を生きる 素顔のモナ・アハメド』を一気読みしてしまった。そのせいか、今日は朝から物憂い気分。というのも、家族からもコミュニティからも疎外され、墓地に家を建て、孤独に暮らすひとりの初老のユーナック(去勢男性)の嘆きが綴られた本だったから。悲しみと真正面から向き合うのは、決して楽なことではないけれど、心を揺さぶられる、いい本だった。ダヤニータ・シンの写真も素晴らしい。

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6月×日 忍耐の日

今日は忍耐の日。対応をお願いしている件があるのに、先方からちっとも返事が来ない。しかも、じりじり待つしか私にやれることはなく、やるせない気持ちで一日を過ごす。どちらかというと私は気が長いほうだと思うけど、こういう日は、せっかちなのかな?と自分を疑ってしまう。その一方で、Iさん、Sさんとのやりとりは、笑ってしまうほど早かった。メールを書いて送ると、ピンポン玉のように、すぐさま返事が戻って来る。そしてメールが何往復かしているうちに、次回の打ち合わせまで決まっていた。Iさん、Sさんの仕事にはリズムがある。見習わなければ、と思う。と、同時に、ひとにはそれぞれペースがあるのだから、寛容にならなければ、とも。
夕方から雷雨。空がビシビシ光って怖かった。

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6月×日 あさがくるまえに

朝、ふとベランダを見やると、クチナシの花が咲いていた(今年最初のクチナシの花)。早速、カメラを持ってきて、そのホイップクリームのような、だけどまだ開ききっていない、少し不格好な白い花びらを写真に収めた。鼻を近づけると、クチナシは、ほのかに甘い香りを放っている。幻想的な香り。幻想的な優しい香り。春先に枝を刈り込んだので、今年は蕾が少ないけれど、それでも、これからしばらくはこの香りを楽しめるのだと思うと嬉しい。毎年やって来る初夏の愉しみ。

午後、Yさんに会い、いま考えているプロジェクトのデザインを見てもらう。意見を求めると、“悪くないと思う、あなたらしい”という返事。背中を押されたようで安心するも、帰り道、私らしい、というのはどういうことなのだろう、と考える。誰でもそうだと思うけれど、私には、私の“私らしさ”がわからない。わからないくせに、私らしい、と言われると、まるで“正しい”と言われたかのように思え、安心するのだから、不思議なものだ。

夜、今秋公開予定のフランス映画『あさがくるまえに』を観る。地味だけど、美しい、そして、眩しく、せつない映画だった(二回泣きそうになった)。

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6月×日 余韻

窓の外は曇り空。私はまだ、昨夜観た映画(カテル・キレヴェレ監督『あさがくるまえに』)の余韻に浸っている。じわじわくる、って、こういう状態を指すのかも。
ストーリーは、交通事故にあった17歳の男の子が、病院で脳死判定され・・・という、臓器移植の物語。と言っても、臓器移植の是非を問うものではない。それらは現実の問題として粛々と進められ、その上で、映画は、臓器提供をする側とされる側、それぞれの家族、恋人、医師・・・各人の心の揺れを丁寧に描いていく。と、同時に、この監督の個性だと思うのだけれども、移ろう光が美しい、幻想的な雰囲気も併せ持った映画だった。緊張感と静謐さが共存するユニークな作品。誰にも似ていない魅力に溢れた作品。

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6月×日 定点観測

クチナシ二つ目の花が咲く。

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6月×日 秋のリップ

昨日は、SUQQU(コスメティックブランド)の新作発表会へ行った。まだ夏も迎えていないのに、並んでいるのは秋冬のカラーコレクション。早い。いや、早くない。秋冬のコレクションは8月発売の商品だから。
お試しになりたい色がございましたら、と言われたので、カーディナルレッドのリップを塗らせてもらう。その色の深みに、秋が来るんだなあ、と感じ入る。私って単純。いま過ごしている季節をいとも簡単に忘れ、春っぽい色を見れば春だなあ、夏っぽい色を見れば夏だなあ、秋っぽい色を見れば秋だなあ、と思うのだから。
アイシャドウは綺麗なシーグリーンの色が出ていた。冬に鮮やかなブルーグリーンだなんて、とてもお洒落だと思うけど、自分に使いこなせるかと考えると自信がない。メイクに関しては保守的な私。弱気。

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6月×日 誕生日

午後、ウェブマガジン(memorandom)の打ち合わせ。新連載をお願いするMさん、Aさん、そして編集スタッフのYさんと私の四人で二時間ほどお話しする。MさんもAさんも、memorandomが始まった頃からの読者なので、趣旨について一から説明しなくても済み、話がスムーズに進んだ。連載のテーマは《旅と映画》に。六月中には原稿をいただけるようで、いまから楽しみ。

打ち合わせの後は、徒歩で帰宅。帰路、ところどころに紫陽花が咲いていて、そのどれもが青く、きれいだった。都内の紫陽花は、いまが見頃かも。額紫陽花もひとつ見つけた。

帰宅後、母に電話をかけ、誕生日のお祝いの言葉を伝える。

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6月×日 クチナシの花

ご近所の生垣のクチナシは、花びら六枚の一重咲き。プランターに植えられているけれど、大きなプランターだから、私の身長の高さまで繁り、たくさんの花がついている。一方、私のクチナシは、八号鉢に植えた八重咲き。高さも60センチ程度で、花は四つしかついていない。比べれば、やっぱり少し見劣りする。でも好き。私はクチナシが好き。一重咲きより八重咲きのほうが華やかで好き。
八重咲きと一重咲き、花の形は違うけど、香りは同じ、変わらない。どちらも甘い、どちらも気品のある香り。そして、(残念ながら)どちらも咲き終えた後、花は散らず、枝についたまま、だらしなく萎れ、変色しながら干からびていく。その姿を目にするたび、私はいつも寂しく思う。クチナシは大好きだけど、これだけはちょっとなあ・・・、もう少しマシな枯れ方だったらいいのに、と。散々香りを楽しんでおいて、こんな言い方ひどいけど、でも、クチナシを育てているひとなら、きっと誰もが思っているはず。蕾も咲き始めも、香りだってとびきり素敵、これで美しく散ってくれたら、クチナシ、完璧なのにね。

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6月×日 香港での過ごし方

香港ではどんな過ごし方をしているの?――時々、そう訊かれるけれど、いつも答えに詰まってしまう。何もしていない。私は香港で何もしていない。ただ本を片手に街を歩くだけ。でも、それが私の過ごし方。公園で鳥の声を聞きながら本を読む。生ぬるい夜風に吹かれながらトラムに乗る。花市場でお花を買って部屋に活ける。そして、時折、立ち止まって写真を撮る。それが私の過ごし方。香港での過ごし方。

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6月×日 強行採決

目覚めると、「共謀罪」法案が強行採決されていた。朝からやりきれない気分。どんよりと重い。空は皮肉にも晴れ渡っている。光が眩しい。

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6月×日 今年最初の水羊羹

朝、Eさんからメールあり。お茶のお誘い。シャワーを浴び、軽くメイクをして出かける。カフェでは、今年初めての水羊羹と冷抹茶をいただきながら、とりとめのない話を一時間。政治の話も少し。
午後、長い打ち合わせが一本。帰宅後、疲れて眠ってしまう。何度も浅い夢を見る。
夜、編集者Wさんから連絡あり。来週末(6月24日)のトークイヴェント、参加申し込みが定員に達したとのこと。ほっとする反面、緊張も。

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6月×日 香港世界

快晴。気持ちのいい風が吹いている。
午後、喫茶店に行き、アイスコーヒーを飲みながら、山口文憲著『香港世界』を読む。1984年に出版された単行本の文庫版なので、この本に出てくる香港は、30年以上前のイギリス統治下の香港。いまの香港と違っているところ、いまも変わらないところ、半々といった感じで興味深い。
以下、「オーシャン・ターミナル」という章より抜粋。

“香港では、映画を観おわった客は、入ったときとは順路のちがう非常口から一度におもてへはきだされる。非常口はたいてい、折れ曲がったせまいコンクリートの露地か、ビルの裏の暗い袋小路につづいていて、どうかすると映画館が面している通りとはまったく別の裏通りへつれてゆかれてしまう。またそれは、映画館の暗闇から現実世界へもどる途中にしかけられたある種の迷路でもあって、観客たちはちょっと不安な気分になりながら、そこを通りぬけて帰ってゆくのだった。”

私は香港の映画館に入ったことがないが、いまもこのような造りの映画館はあるのだろうか。

帰り道、街路樹の根元に生えている雑草の花(紅いタチアオイの花)を摘む。
部屋に戻って、『スージー・ウォンの世界』のサウンドトラックを聴きながら、小瓶に活ける。