東京・消失・映画館 第三回辻本マリコ

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未踏の街の景色は、かつて見聞きした何かでできている。 たとえば、映画を観るとかして。

がらんとした部屋にわずかな荷物が届き、東京で暮らし始めたのはずいぶん前の春のこと。落ち着かないまま日々が過ぎ、終わりかけの映画をつかまえた頃はもう、半袖の季節になっていた。

その映画が銀座でかかっていることを、あの頃どうやって知ったのだろう。東京駅で買った小さな地図を開き、映画館の場所と乗り換えを頭に叩きこむと、新たな不安が生まれた。初めての銀座に、何を着て行けばいいのだろう。

未踏の銀座の景色は、かつて観た50年代の映画のシーンを貼りあわせてできていた。丸の内、窓が整然と並ぶビルヂング。重役室にいる父親や叔父を娘や姪が訪ねる。男は背広に帽子、女はフィット&フレアの誂えのワンピースにハイヒール、連れ立って鰻屋や小料理屋に出かけて行く先にある街。

映画館に行くだけなのに、見えないドレスコードがある気がした。クローゼットを探り、背伸びして手に入れたシャルル・ジュールダンのハイヒールを見つけるとようやく銀座への招待状を手にした思いで、メトロの階段を上がり、中央通り沿いの店のウィンドウを覗きながら歩く。ディスプレイされた洋服やバッグより、ガラスに映る自分が街に馴染んでいるかばかりを確認しながら。

ホテル西洋銀座の建物脇にあるエレベーターに乗り、銀座テアトルシネマに辿り着く。しっかり傾斜がついた見やすい、シックな内装の映画館そのものより、観客に特徴があった。落ち着いた年齢の夫婦や家族連れが、少しよそゆきの装いで食事や買い物の間に映画を楽しむ。そんな休日を過ごす華やいだ表情の人々を観察していると、灯りが消えた。

「花様年華」はポップな香港を活写していた王家衛が色を変え、過ぎ去った60年代への郷愁を背景に、互いの夫・妻の密会を知った男女の、触れそうで触れない距離を描いた物語。狭い空間にひしめく住人たちの間をすり抜けていく、柳腰の女の襟の高いチャイナドレスは一分の隙もなく身体を束縛する。ポマードで撫でつけられた男の髪は寝乱れることもなく、煙草の煙が溜息に白く色をつけ背中に絡みつく。

観終わって外に出ると息苦しい、不自由なこの物語に「花様年華」、花のような歳月という名前を与えるなんて、皮肉なことだと考えながら歩いた。けれど時を経て振り返れば、あの男と女の人生のうち、まさに花のような時がたしかに切り取られていたのではないか。

銀座が現実の街として日常に存在するようになった後も、ブニュエル、オリヴェイラ、ロメール…少しよそゆき気分で観たい映画は、銀座テアトルシネマを選んだ。振り返れば、緊張しながらとっておきの靴を履き、東京で初めての映画館に向かったあの日も、花のような時だったのかもしれない。

「花様年華」は、このような文章が映されて終わる。
「過去は見るだけで、触れることはできない。見えるものはすべて幻のように、ぼんやりと…。」

銀座テアトルシネマ
1987年開館、2013年閉館