『はたらかないで、たらふく食べたい 「生の負債」からの解放宣言』栗原康

『はたらかないで、たらふく食べたい 「生の負債」からの解放宣言』
栗原康著(タバブックス 2015年)

数年前、日本酒を作っている友人に連れて行ってもらった場所を思い出す。車を降りると、もうすでに濁りのない透明な空気が満ちている。胸いっぱいに吸い込む。あぁ、清い。清らかだ。何て清々しいのだろう。あまりの感動に同じことを何度も言ってしまった。空気と期待に胸を膨らませる。少し歩を進めれば、美しい水が枯れることなくこんこんと湧き出る泉に行き着く。あぁ、何て気持ちがいいのだろう。水は冷たいし美味しいし、本当に来てよかった。飛び込んだらもっと気持ちがいいだろうな。よし、飛び込んでしまおう。そんな本である。

こんなタイトル、初めて見た。『はたらかないで、たらふく食べたい』同感である。“「生の負債」からの解放宣言”はいらないのでは、と思わせるほど、すでに解放感全開である。 あぁ、清々しい。この先にもっと美しく気持ちのいいものに出会うに違いない。胸を膨らませる間もなくどんどん読み進める。
圧倒的に多いひらがなに独特のリズム。ふざけているようで、至極真っ当である。こうできないのはだめなやつだ、こうあるべきだ、こうしろ。様々に形を変えて押しつけ、説教し、強制してくる、資本主義社会。何でも利害関係、常識から外れた人間は許すな。「やりたいことだけをやってはいけない、かせがなければいけない、買わなければいけない」何のために? カネのためだよ、カネ、カネ。そんな世界はおかしい。「いつだってなんだって、やりたいことをやってしまえばいい」と栗原さんは言っている。
私が普段、思想や哲学の本を読む時、書いてあるエッセンスに対して、自分の実体験を当てはめていき、理解しようとする。この本はその逆で、彼女にふられた、サツマイモ、年金制度、タバコといった栗原さん自身の日常から、伊藤野枝、徳川吉宗、高野長英、一遍上人等々、縦横無尽に連なっていく人物やその生き方、考え方を通して、エッセンスを読み取っていく。真実味があって一気に惹き込まれる。

ここにも泉を見つけた。一息つける。そして、きんきんに冷えた美味しい水をごくごく飲んで、また歩きはじめる。ぐんぐん力が湧いてくる。思想や哲学というものは水みたいなものなのだろう。水がなくては人間は死んでしまう。
泉の中には、「モテたい」「豚の足でもなめやがれ」「人間はウンコなのである」「合コンにいきたい」といった輝く言葉の数々が、投げ入れられた硬貨みたいに散りばめられている。ご利益がありそうだ。
栗原さんの言葉をよくよく味わってみると、あの時の湧き水とは少し違う味がする。もう一口、これは日本酒である。度数は結構高い。参照している人物やその生き方、考え方が湧き水なら、それを元に年月をかけ、アナキストならではの独自製法で日本酒へと昇華したのが、この本である。知識と経験がものをいう日本酒作り。どうりで美味しいわけだ。私は酔っぱらい、遊び、踊らせれる。あぁ、気持ちがいい。生きていくのに酒が必要な人間もいる。

栗原さんが大好きだという長渕剛の歌を聴きながら書いている。あれほどモテたがっていた栗原さん。ウェブサイトのインタビューによると、最近新しい彼女が出来たらしい。乾杯! 君に幸せあれ!

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