会えない時はいつだって

矢舟テツロー

第5回 アメカジとの出会い

矢舟さん

中学2年生の冬休み、地元・町田駅前の最も賑やかな通りを歩いていたらお洒落なお兄さんがチラシを配っていた。
そのチラシの店「クラウドナイン」は、人通りのやや少ない通りの、雑居ビルの2階にあった。
こんな場所にも洋服屋があるのか、と恐る恐る店の中に入ってみると、革製品のにおいとログハウスの木のにおいが混ざったような独特の空気、音量大きめな音楽、インテリアで置かれたピンボールマシンやネオンクロック、色落ちしたリーバイス501を履いた店員さんのファッション、いろいろなものに圧倒された。

棚に並んだ服にはカラフルな紙のラベルやタグがついていて、そこには「made in U.S.A」の文字が、誇らしげに記されていた。
どうしてもこの店で何か買い物がしたくなり、その日は「ABC stores(ハワイの雑貨店)」のロゴがプリントされたスウェットを、もらったばかりのお年玉で購入した。スウェットのボディは Tultex(タルテックス)社製で、もちろん「made in U.S.A」だった。ファッションに興味を持ち始めたばかりの頃だったが今までに着ていた服とは何かが違う、本物を手に入れた、と感じた。
この時から僕はアメリカンカジュアル、略してアメカジに、ハマった。

クラウドナインには週に1回以上のペースで通った。といっても滅多に買い物はできないのだが、あの空間にいることが刺激的で、店員のお兄さんのファッションに憧れた。そしてさまざまな服を眺めては、そのタグを見てブランドを自然と暗記していった。

当時はチャンピオンのリバースウィーブもリーバイス501もコンバースのオールスターもまだアメリカ製で、それが当たり前だと思っていたのだが、ほんの数年後にはほとんどのブランドが生産地を中南米や中国、東南アジアに移転してしまった。
一見同じ製品に見えてもよく見ると何かが違う、着てみるとさらに何かが違う、そして数年経つと、はっきりとその違いが出てしまう。アメリカ製品は、作りは雑だが圧倒的にタフで頑丈だった。
アメリカ製品が売り場から姿を消せば消すほど、僕は数少ない「made in U.S.A」を求めるようになり、その「呪縛」から、いまだに逃れられないでいる。

ところで、十代の僕が夢中になって通ったクラウドナインには、大人になってからも、頻度は下がったが定期的に通っていた。
ある時、僕がブログにクラウドナインの思い出話を書いたら、創業者である社長さんが見てくれて、それをきっかけに個人的に会って話すような仲にもなった。
ところが数年前に実店舗が閉店、いつの間にか通販サイトも閉鎖され、社長さんとも連絡が取れなくなってしまった。
僕はもうすぐ通算8枚目のアルバムをリリースするが、9枚目のアルバムのタイトルは「クラウドナイン」にしようと思っている。
町田で最初のアメカジショップ復活への願いを込めて。

イラスト:伊藤敦志

矢舟テツロー YAFUNE TETSURO シンガーソングライター/ジャズピアニスト www.yafune.com