第2回 音楽を始めるまで
東京オリンピック開会式の直前、突如話題になってしまった「和光中学」。校舎は東京都町田市・鶴川にあり、生徒の半数は世田谷区にある附属小学校からの内部進学組、残りの半数は中学受験で入学した外部進学組。町田市に生まれた僕は、姉が通っていたこともあり中学受験で入学した。
制服も校則もない、自由な校風が特色のこの学校には独自の文化が根付いていたのだが、特に世田谷あたりから通う裕福な家庭の生徒の中には中学生とは思えないようなセンスの持ち主がいて、歳上のカッコいい先輩のファッションや音楽の趣味から、思春期に突入したての僕は多大な影響を受けた。やがて「卒業生がフリッパーズ・ギターというバンドでデビューしたらしい」という話を聞いたり、同級生がバンドをやっているという話を聞いたり、音楽への憧れは漠然と高まっていった。だが当時はまだ楽器に触れることはなく、小学生の時からやっていたサッカーに熱中していた。
高校は部活動がもっと盛んな学校に進みたいと考え、和光の「ユルすぎる」校風にも疑問を感じていたため、エスカレーター式の高校には行かず、受験をして別の高校に進学することにした。
高校受験はあまりうまくいかず、第三志望の私立高校に進学した。男子校で、詰襟の制服だった。サッカー部に入ったが厳しい上下関係があり、ごく稀にだが暴力や「しごき」もあった。音楽の趣味が合うような友人は見つからず、環境の変化に対応できなかった僕は自ら周囲に壁を築いていった。
疑問を抱いていたはずの和光の「ユルい」校風が、急に輝いて見えるようになってしまった。夏になっても秋になっても友人は一人もできず、クラスでは完全に孤立していた。
話し相手のいない日々の中で、音楽を聴きその世界に没頭する、それが僕には何より大事な時間だった。心のどこかで、同級生が知らないような音楽を聴いているという優越感のようなものも抱いていた。
とはいえ、まだ自分で楽器を演奏しようとは思わなかった。そういう発想が、当時の自分にはまったくなかったし、一緒にバンドを組むような友人もいなかった。
結局高校は2年生の途中で退学してしまった。今思うと十代の頃の僕は、どこにいても「ここは自分の居場所じゃない」と不満を言うような、斜に構えた子供だった。
その後、高校卒業の資格を取り大学受験に合格。入学を機に何か新しいことをやってみたいと思い、ここでようやく、自分で楽器を弾いてみようと思い立つ。
楽器であれば何でも良かったのだが、手始めに姉がむかし習っていたピアノを弾いてみた(実は僕も幼少時に少しだけ習っていた)。
「18歳からピアノを始めた」と言うと「ずいぶん遅いスタートですね」と言われる。
幼少時から英才教育を受けていたようなピアニストにはどうしてもかなわないと思う時が多い。
でも、音楽に憧れ続けた時間の長さでは負けていない。
そう言い聞かせながら、僕は自分の音楽を作っている。
イラスト:伊藤敦志