眠れない/ 猪野 秀史 vol.4

photo 川上尚見 direction 長谷部千彩

ローズと私。
ローズ=薔薇ではなくローズ・ピアノという電気ピアノのことで、英語表記すると“Rhodes Piano”。通称”ローズ”と呼ばれているヴィンテージ鍵盤楽器を僕はメインに据え音楽活動をしている。
そもそもローズという名称は、アメリカ生まれのハロルド・ローズ博士という人の名前に由来する。
ローズ博士は第2次世界大戦中に当時高価だったピアノの代用品として、墜落した戦闘機のパーツや廃材を集め、戦争で負傷した人たちを慰安することを目的としてこの楽器を開発した。
傷ついた人々の心や体を解きほぐすために作られたローズ。芸術や文化、音楽そのものがそれに値するとしても、そのようなコンセプトで開発された楽器はなかなか珍しい。
戦争という暗黒の時代の中で平和への希望と信念により開発され、当時は革新的だった音を揺らす装置の付いたスピーカーが鍵盤と一体型となり、独特な音声振動によって鼓膜からマッサージされているような揺らぎを発信する。
ピアノよりも丸みのある音で甘美な音色が特徴的なローズは、音楽療法としての機能を果たしている。このことは、僕が生涯このローズと共に音楽活動をしていこうと決めたひとつの大きな理由だ。
正直に話すと、僕のような無骨な人間が、キラキラと煌めく優美な音のする楽器を演奏すること自体、あまり相応しくないのではと思うこともある。
僕は5才からピアノ教室に通い始め、小学生の時に兄の本棚にあった小澤征爾の「僕の音楽武者修行」という本を読んで感動し、その思いを卒業文集に書き、中学は迷うことなく吹奏楽部に入った。県大会やコンクールなどを目指すような本気の部活動だったこともあり、当時はクラッシックに没頭し過ぎて他の音楽が全く耳に入って来ない時期があった。
そんなある日、たまたまTVで『ブルース・ブラザーズ』という映画を観た。レイ・チャールズ演じる盲目の楽器屋のオーナーが拳銃を持って登場し、見たことものない鍵盤をとても楽しそうに弾く姿を見て、心の底からマグマのようなものが湧きあがった。生まれて初めて雷に打たれたような感覚というか、熱い電流が身体中を駆け巡った。それが僕にとってのローズとの最初の出会いだ。
その映画を観た翌日、自分の住む街に一軒しかなかったレンタル・レコード屋まで自転車を立ち漕ぎして向かい、店の人にTVで目撃した曲の話をすると、「ホワッド・アイ・セイ」のレコードを渡してくれた。早速、カセットに録音し耳コピーして何度もピアノで弾いて歌った。高校生になった時、また同じ映画がTVで放送されていた。
映画の中でレイ・チャールズが弾いていた曲が、レコード屋で借りて来てその気になって繰り返し弾いていた曲とは全く違う曲だったことに気づいてショックを受けた。
それから大人になるまで、先輩や友達から色んな音楽を教えてもらった。
僕がローズを初めて弾いたのは、大人になって福岡でバンドを始めたちょうど20才の頃だ。10才ほど年上のバンドと対バンした時に、そのバンドのキーボードの人が弾いていたローズを本番で使わせてもらったのが初めての演奏体験だった。
そのキーボーディストの先輩とはすぐに仲良しになった。当時はローズを買えるお金がない若造だったので、わざわざその先輩の家に遊びに行ってローズを弾かせてもらった。
その人とは今でも交流がある。色んなバンドで大活躍されている素晴らしい先輩だ。
30才で上京する数年前、楽器屋やスタジオで販売されてるローズを探し歩いた。ローズという楽器はヴィンテージ・ギターと同様に、音の鳴りなどの個体差がある。
ある日、いつもの中古楽器屋に入ると、今まで弾いてきた中でも格段に音色と鍵盤のタッチが違うローズに出会ってしまった。それはこれまで巡り合ったことのないような美しい女性に一目惚れしてしまい、恋に落ちたような感覚に似ていた。後先何も考えず、ローン返済で即決。届くまでの間もそのローズのことを想わずにいられなかった。
数日後、ひとり暮らしの部屋に念願のローズが運ばれて来た。嬉しくてしょうがなかった。憧れの女性との同棲が始まった感じとでもいうのだろうか。それから、そのローズと共にインスト曲をたくさん作って最初のアルバムが産まれた。
ローズという楽器をなぜこんなにまで偏愛しているのか、正直自分でもよく分からない。この楽器を奏でていると、音色が空中に浮遊しているような瞬間がある。大袈裟かもしれないが、生きている実感というか勇気や喜びに似た感情に包まれる。
美人は3日で飽きるというが、生涯を寄り添うであろうローズと私。
猪野秀史 INO HIDEFUMI 鍵盤奏者 / シンガーソングライター  www.innocentrecord.net