第2回 八年前・春の日記

2014年4月15日(火)

 今日は亡くなったHさんにお線香をあげに行った。グッチのコートにグッチのパンプス、エルメスのハンドバッグ。バーバリーのワンピースにウォルフォードのストッキング、シャネルのスカーフを首に巻き、全身ブランドもので身を固めた私は、全身防具で身を固めた勇者みたいだ。勇者ロトの血を引く者、ちさいよ。これだけガチガチの恰好をしていれば、遺影を見ても悲しくなったりしないだろう。

 Hさんのことは好きなところもあったし、苦手なところもあった。憎めないけど、こういう人がそばにいると困るとも思った。普通は、人が亡くなった時、残された人たちは、その人のことを褒める。いいところしかなかったみたいに言う。でも、私は、印象の端数を切り上げて褒めるようなことはしたくない。好きだったところ、苦手だったところ、それは私の目が捉えたHさんで、私の知っているHさんを、私はそのまま記憶に留めておきたい。
 Hさんは臭みのある人だった。それは生きている人誰しもが持つ臭みで、その臭みは人によってそれぞれ違う。私は、亡くなった人をいい人にしてしまうのは、その臭みある人の記憶と失った悲しみが生み出した人物像とを入れ替えてしまう行為ではないか、と思うのだ。
 人は誰しも、他人と関わることで、互いの人生を歪めあう。Hさんと私が接点を持ったことで、私の人生は歪んでしまったと思うこともある。でも、歪んだ上で私は今日も楽しく暮らしている。

 帰り道、立ち寄った花屋でクレマチスの鉢植えを買った。一度育てるのに失敗しているからクレマチスには手を出さないと決めていたのに、鉄線(テッセン)の美しさが、今日は殊の外、清々しく感じられた。
 鉢を抱え、夕暮れの街を歩く。こうやってピンボールみたいに、あちこちにぶつかって、ぶつかる度に転がる道を変えながら、人は生きていくのだろう。どんなに複雑な軌跡を残しても、ボールはいつか必ずアウトホールに消える。
 クレマチスがうまく育つといい。今日という日の気まぐれが、何か楽しいことを呼ぶといい。Hさんの死とクレマチスが私の中でうまく受粉するといい。見上げるとイチョウの枝に緑の葉が、ますます賑やかになってきた。