「今年は私も植物を育ててみようと思うんですよ!」と、ユカリさんは唐突に言った。
土曜の朝のオンラインミーティング、懸案事項の相談も概ね片付いた時だった。
「だから長谷部さん、朝顔の種とひまわりの種、よろしくお願いします!」
私よりも年上だけど、末っ子のユカリさんは、そういうことをからっと頼む。
「そろそろ私も何か愛することをしなければと思って」
五十代独身の彼女の言葉に大笑いしたけれど、その場にいたのは独りものばかり。その笑いには自嘲の意味も含んでいる。そして全員が、ユカリさんが同居していた父親を看取り、六年間の介護の末、一昨年、母親を送った愛情深い女性であることを知っていた。
既に五月。種を蒔くなら早いほうがいいだろう。ミーティングを終えると、私は園芸用具をしまった棚からペールブルーの箱を取り出した。蓋を開けると、中には種の入った小袋が十数種類ストックされている。朝顔とひまわり、去年買った種は残り少なかったが、それでも四、五粒ずつ、私はトレーシングペーパーで包み、手紙を添えて封筒に入れた。歌舞伎の好きなユカリさん。「助六」が描かれた切手を表に貼る。
ミュールを履いて通り沿いのポストまで。連休中の東京は、車も少なく、実にのどか。散歩中の犬とすれ違う。ジョギング中のカップルが角を曲がる。街路樹のツツジは花を終え、ジャスミンの香りが風に乗って流れてくる。
赤いポストの投函口に、願いを込めて私は封筒を差し入れる。
ユカリさんのボタニカルライフが楽しいものになりますように。
楽しいだけでなく、私が植物を育てる暮らしの中で多くのことを経験し、考え、仲間を得て自分自身を育てたように、ユカリさんにとっても豊かなものになりますように。
部屋に戻り、ベランダに出ると、紫色のクレマチスの蕾はここ数日でさらに増え、明日にでも開花を始めそうな勢いだ。今日こそは、と、先延ばしにしていた作業に取りかかる。
使っていないリング支柱の汚れを雑巾で拭く(リング支柱とは、三本の棒に針金でできたリングが取り付けられたもの。朝顔など蔓が伸びる植物を植木鉢で育てるときに使う)。それから、リングを外し、支柱にモスグリーンのマスキングテープを隙間なく巻いていく。こんな手間をかけずともそのまま使えばいいのだが、プラスチックの緑色が安っぽく、それがずっと気にいらなかった。その解決方法を数日前に思いついたのだ。
窓の外は青い空。スピーカーからはロマンティックなタンゴが流れている。頭を空っぽにして黙々と手を動かす。この“頭を空っぽにして”というのが、園芸作業の良いところ。
三本巻き終えるのに、三十分ほどかかっただろうか。リングを元通りに取り付けたら完成だ。ベランダに出て、クレマチスの鉢にリング支柱をセットし、茎を誘引し、結束ワイヤーで留めていく。クレマチスの茎は硬くて細いから、折らないように気をつけて。うん、いい感じ!
最後に、苗を買った時にささっていた竹の添え木をそっと引き抜く。スマートフォンで写真を撮ると、支柱の色が落ち着いて、花が引き立って見える・・・ような気がする。自己満足かもと思いつつ、園芸仲間にLINEで画像を送るとすぐに返信があった。
お、芸が細かい!
いいね!もとはリングの色だったんでしょ?
日暮れ時、植物に水を遣りながら、ふと思った。園芸のこと、書いてみようかな。下手の横好き、失敗も多い私の話に、参考にしてもらえることなどないかもしれないけれど、ユカリさんが読んでくれるなら。あるいは、これから園芸を始めるひとが読んでくれるなら。ユカリさんとともに始めてみよう。それがこれから綴る私の「園芸十二ヶ月」である。