新宿三丁目の駅を降りてスナック街に入ると、新宿ピットインというライブハウスがある。13年前、ここで浅川マキのライヴを見た。満席で席が取れなかった私たちは、舞台と最前列席の隙間に膝を抱えて座り、演者を見上げた。別世界の人のように感じていた浅川マキの姿が目の前にあることに現実感が湧かなかったけれど、いざ声を聴くと鳥肌が立った。 この頃、『にぎわい』という曲を繰り返し聴いていた。彼女の歌声には物語があった。私は、東京でアルバイトをしながら気楽に暮らしている若者だったけれど、寂れた港町で世を捨てたように生きている、すれっからしの女と男の情景を思い浮かべると、胸が詰まる思いがした。 ライヴを終えたとき、歩き始めようとした彼女は躓いて動かなくなった。一瞬の間だったと思うが恐ろしく長く感じ、そこに居た皆が凍りつき、手を差し伸べようとした。けれど彼女は誰の手を借りることなく、ひとりでそっと立ち上がった。そして口元に緩みを見せて、優雅に舞台を去った。あの場に居合わせた誰もが、浅川マキと目が合い、自分だけに微笑を送ってくれたと感じただろう。彼女は黒いサングラスをかけているけれど。同時にあの瞬間抱いた不安は消えぬまま、年が明けてすぐ訃報が伝えられた。 春になる頃、ピットインで行われたお別れ会へ献花に行った。暗い部屋の中、蝋燭の火に囲まれている彼女の肖像写真がぼんやりと見えた。私は浅川マキの歌声を通じて幾つかの人生を垣間見たけれど、彼女自身のことは何も知らないし、想像もつかない。私の目前に居た彼女の姿も、今では全てが幻だったかのように遠く霞んでいる。