私のかけら 31  長谷部千彩

――これはかけら。季節のかけら。東京のかけら。私のかけら。

5月×日 五月の花々

旅行から帰ってくると、部屋の中が甘い香りで満ちていた。窓辺に置いたクチナシの鉢植え。不在の間に一気に開花へと進んだらしい、白い花を咲かせている。数えてみると、開いた花は十個ほど。どうりで香りが強いはず。加えて、嬉しいことに、ふっくらとした蕾もたくさんついている。これなら、二週間は楽しめそう。今年の育成は大成功。
でも、クチナシだけじゃない。マーガレット、ゼラニウム、ヴィオラ、クレマチス・・・今年、私のベランダの鉢植えは、どれも花つきがとてもいい。特別なことは何もしていないのに、去年よりもずっとよく育っている。
心当たりのない植物たちの勢いに、ふと馬鹿げたことを考えてしまう。蕾運なんて言葉、聞いたことはないけれど、蕾がたくさんつく運気みたいなものがあって、いま、それが私のもとに来ているのではないかしら――。

今年みたいに手をかけずともどんどん咲く年もあるし、どんなに気を配って世話をしてもあまり咲かない年もある。そのことはいつも不思議に思う。でも、植物の、コントロールしきれないところが、私は好き。こちらの思惑なんてお構いなしに咲いたり咲かなかったりする植物は我が儘。そこが好き。

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5月×日 見納め

昨日は、山種美術館へ、企画展『桜 さくら SAKURA 2018』を観に行った。毎年、春になると開催される、桜を描いた作品を集めた展覧会。植物の絵が好きな私は、ここ数年、欠かさず足を運んでいる。従って、既に観たことのある作品も多く、自ずと心は、初めて観るものへと惹きつけられる。具体的に言えば、それは、速水御舟の桜の木の写生なのだけれども。
売店で石田武の夜桜の絵葉書を二枚購入。これで今年の桜も見納め、と思いながら、美術館を後にする。
通りに出ると、街路樹のイチョウには葉が繁り、強い陽射しはまるで初夏のよう。今年の春は、季節が先に進み過ぎている。

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5月×日 休日

午後、バラを観に山下公園へ行った。
休日のため、園内は大勢のひとで賑わっていた。
バラはまさに見頃。“咲き乱れる”という言葉がぴったり。
久しぶりに写真をたくさん撮った。

帰りに中華街に寄り、聘珍楼でお土産を買った。叉焼麺をふたつ。
ひとの多さに気後れして、中華菓子は買いそびれた。
喉が渇いたので、お茶でも、と思ったけれど、どの店にも行列が。
諦めて駅に向かう。駅も混雑していた。

家に着いて着替え、ベランダに出て植木に水を遣る。
夕空に浮かぶ大きな雲。見下ろす街は、とても静か。街路樹が風に吹かれて揺れている。
あと二日、お休みは残っているけれど、もう遠出はしないと思う。人混みはやっぱり苦手。

部屋に戻ると今日もクチナシの甘い香りが。花が18個に増えている。

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5月×日 季節を待つ

去年の七月、横浜に遊びに行ったとき、山下公園を散歩して、少しだけ咲き残っていたバラを眺めながら、来年の五月に必ずまたここへ来ようと思った。盛りの季節はどんな様子なのか、見てみたかった。
だから、昨日、山下公園に行って満開のバラを見た私は、十カ月温め続けた願いを叶えたことになる。
夢と言うにはあまりに小さい、ささやかな望み。だけど、こうして季節が巡って来るのをのんびりと待ち、ひとつひとつ、現実のものにしていくのは楽しい。スピーディに物事が進むのとはまた違った喜び。