会えない時はいつだって

矢舟テツロー

継続は力なりと言うが、やめなければかろうじて継続していたことになる。

それぐらいの熱量で矢舟テツロー・トリオはもうすぐ結成 23 周年を迎える。

矢舟テツロー(vocal&piano)
鈴木克人(bass)
柿澤龍介(drums)

初めてこの 3 人で演奏したのは 2003 年 8 月、南青山・曼荼羅でのライブだった。
この時のことは、実はほとんど覚えていない。

後になって調べて、この日が初ライブだったということを思い出した。

ベースの鈴木克人とはこのライブの 1〜2 年前、とある結婚式の営業の演奏で知り合った。当時はウッドベースを弾けるジャズミュージシャンの知り合いがほとんどいなかったので、とにかく仲良くなっておけ、という感じで連絡先を交換した。

その後初めて 2 人でライブをやった時、この人ってこんなに上手かったのか、と驚いたのを覚えている。

ドラムスの柿澤龍介とは私が当時サポートでキーボードを弾いていたバンドのライブ会場で出会った。彼は「トルネード竜巻」というバンドのドラマーで、いわゆる対バンとして出演していた。
リハーサルの時に彼が叩くシンバルやスネアドラムの音がとても心地よかったので、私から声をかけて連絡を取るようになった。

その後 3 人で演奏する機会が増えたが、私は「ソロ活動」なので固定メンバーで演奏しているわけではない。他にも何人か手伝ってもらうベーシストやドラマーがいて、こちらから声をかけて OK ならお願いするし、NG なら別のメンバーを探す、というやり方でやってきた。彼らもずっとサポートメンバーという認識だったはずだ。

結成も解散もないので「結成〇〇周年」などとカウントしたことはなかった。

それから私はシンガーソングライターとして何枚かソロアルバムをリリースしたが、2015 年に 6 枚目のアルバムを出した時、アルバムの売り上げが芳しくなかったこともありソロアーティストとしてもうこれ以上「売れる」のはさすがに無理だろう、と考えるようになった。

トリオでライブをやっても 2 人にギャラを払えるほどの売上がないので、ライブをやればやるほど赤字になってしまう。3 人でのライブは年に 1 回ぐらいまで減ってしまった。

その後はアイドルのプロデュースをやりたいと考えるようになり、自分自身のライブはほとんどやらなくなってしまった。もともとプロデュース業に憧れていたのでアイドルプロデュースはとても面白かったのだが、やがて周囲から「もう自分では歌わないんですか?」「自分のライブもやって欲しい」という声を聞くようになった。
気が付けばトリオの 2 人とも 2 年ぐらい会っていない。
久しぶりにやってみるか、と思い 2 人に声をかけ 2019 年の 5 月、矢舟テツロー・トリオでライブを行った。

この時ふと気になって初ライブがいつだったか調べ、結成 16 年目であることを知った。

そんなに長く続いているバンドはそう多くない、このメンバーでの活動は続けられる限り続けた方がいい、そう思った。

このライブを観に来てくれたお客様の中にアイドル現場で知り合ったシンガーの女性がいて、彼女から「私もバンドセットのライブをやってみたい」と言われ、その後一緒にライブをやったり、アルバムをリリースするようになった。
そのアルバムが好評で、同じレーベルから今度は私のソロアルバムをリリースすることができた。
この頃から矢舟トリオの調子が上向き始めた気がする。

かつては年に 1 回会うか会わないかだったメンバーとも、ここ数年ほぼ毎月会っている。

もしも 15 年目にあのまま自然消滅していたら、今の 3 人の姿はなかった。

16 年かかってこのトリオの価値に気がつけたのは幸運だったと思っている。

イラスト:伊藤敦志


矢舟テツロー YAFUNE TETSURO シンガーソングライター/ジャズピアニスト sites.google.com/view/yafune/