旅の記憶、映画の鍵
維倉みづき

第五回 ランニング・フェンス

米国西海岸、サンフランシスコから車で南に1時間、乾燥した薄茶色の丘が緩やかに続く土地。東京からここへ引っ越してきたのは夏の始め。最初の夏は、景色の単調さに辟易していた。昼間は一面の青空に、暴力的なまでに眩しい太陽。夕暮れ時は、空が赤味を帯びることは殆どなく、青がそのまま濃くなり夜となる。

初めての英語生活で、頭が疲弊していたこともある。東京都心の徒歩と電車移動に慣れた感覚で「気軽に」行ける距離に映画館や本屋などの気の利いた商業施設もなく、気分転換の仕方が分からなかった。海までも車で片道30分、曲がりくねった山道を超えなければならない。乾燥した大地と広い空がカリフォルニアらしさだと自分を慰めるにも限界があった。東京の赤い夕陽が恋しかった。

近所に干上がった湖があり、その周囲がランニングにちょうど良かったので、時々走りに行っていた。夕暮れ時、湖底を覆う枯草は、金色に染まる。陽が落ちた直後は、空がほんのりピンク色になることも分かった。稀にある曇りの日には、雲が真っ赤に染まることもあった。いつしか、日没時間を調べ、その時間を狙って湖に向かうようになった。少し日数をあけて訪れると、太陽が姿を消す場所が移っていて、地球の自転を目にすることもできた。遠い既知の夕日を恋しく思う気持ちは薄れ、目前の未知の空を発見することを楽しく思えるようになった。

住み始めてから1年以上経った12月、例年にない大雨の日が続いた。日本の小型台風程度だが、その土地にとっては想定を超えた雨量であり、道路や建物問わず街中で水が溢れ、軽くパニック状態になって滑稽だった。久しぶりに日が差した夕暮れ、数週間ぶりに湖を訪れた。ゆるい坂道を上がって湖の淵に立った瞬間、目の前の景色が信じられず、呆然と立ち尽くした。湖が大雨のおかげで「湖」になっており、水辺は瑞々しい緑で埋め尽くされていた。黄金色はどこにもない。日没後、空一面が虹色になると、水面がそのまま虹色を映す。

その土地に長く住む人に興奮して湖復活を伝えると、「確かにここ数年干上がってたね」とあっさりした返事。別に珍しいことではなかったようだ。その後、快晴が続き、水はあっという間に消えて、緑もすぐに枯れていった。1年と少しくらいでは、まだまだ知らない景色があるのだなぁと、視線の先に入り始めた引っ越す日を恨めしく思った。

その土地を離れるまで、私の枯れ湖への夕日詣では続いた。晴れた1日だけいたら「何もないつまらない場所」として記憶から消えていたと思う。その土地を離れるころ、私のカメラは北カリフォルニアの広い空が様々に染まる写真でいっぱいになった。

1978年のドキュメンタリー映画『ランニング・フェンス』は、クリストとジャンヌ=クロード夫妻がサンフランシスコから車で北に1時間ほどの海〜内陸に高さ5.5メートル、全長39.5kmの白い布地を設置した作品「ランニング・フェンス」の1972年からの準備と、1976年9月10日から2週間だけの完成した姿を納めている。

作品が通る牧場の数は59。1軒づつ会話し説得してゆく夫妻。最初はよそ者に対して猜疑心を抱いていた牧場主も、最終的には全員が賛成。フェンスが「アートではない」と設置反対を主張する地元のアーティストが中心になって起こした18回にわたる公聴会で、牧場主たちは設置賛成意見を述べる不可欠な仲間になった。

牧場主が賛成した理由は、資材をもらえるとか、自分たちの土地に関し赤の他人がつべこべ言うのが気にくわないとか、様々だったと思うが、一つには、設置予定の9月に完成したランニング・フェンスの美しさを一番想像できたのが、その土地を知り尽くした牧場主の人たちだったのだと思う。

クリストは公聴会で述べる。反対する人も含めて、関係した人は皆、作品の一部だと。「ランニング・フェンス」のアイディアを聞いた人は、嫌が応にも完成形を程度の差はあれ想像する。深夜1時に行う牛の搾乳時、月の光を受けて銀糸のように牧草地を走るフェンス。朝霧の中から徐々に姿を現す艶っぽい白地。牧草地を駆け抜ける風を受けてうねる純白の帆。19時過ぎの夕日に輝く黄金色のリボン。あるいは、何もない牧草地を遮るただの巨大な邪魔な白い布。

牧場主たちは、それがアートと呼ぶのかどうかは無関係に、アイディアを聞いてから実際に「ランニング・フェンス」に出会うまで、目の前の景色に白い光沢を帯びた布の姿を想像する時間がたっぷりあった。映画の中で、地元の食堂を仕切る女性が料理しながらカウンター席の常連客らしき人に話す。クリストとジャンヌ=クロードは時間をかけて海岸を探して旅して、いくつも州をまわった。この土地は一番美しいと選ばれたのだ、理由があるのだ、と。

フェンス設置から数年後、オランダで「ランニング・フェンス」記録展が開催された時、サンフランシスコより遠くに、美術館にさえ行ったことのなかった牧場主たちが、ツアーを組んでオープニングを訪れたと、フェンス設置の30年後にドキュメンタリー映画に追加された解説でジャンヌ=クロードが嬉しそうに話す。

私が移動式の映画館「moonbow cinema」を始めてから、その究極形としてあるイメージはクリストとジャンヌ=クロードの作品。参加した人それぞれにとって、上映作品と上映場所が、その後ずっと思い出になるような空間と時間を作り出せたら、と。