『天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々』メイソン・カリー

『天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々』メイソン・カリー著/金原瑞人・石田文子訳
(フィルムアート社 2014年)

 朝は6時に目覚める。

 夏場は家族と寝室で眠ることができない。寝ようと試みることもあるが暑くて必ず夜中に起きてしまう。もう一度眠ろうとするが落ち着かない。ひとり階下のリビングに降りると夏でもひんやりとしていて静かで安心する。ソファーに横になるといつの間にか眠り込んでいる。近頃はもう最初からリビングで寝てしまう。毎晩ギリギリまで映画を観、本を読み、酒を飲み、毎晩ソファーに新しいタオルケットを敷いてひとり静かに眠る。夜中3時頃、小さな足音が階段を降りてくる。かすかに目を覚ますと2歳の次女が階段を降りソファーに向かってやってくる。

 「おみず」

 起き上がり、テーブルの上にあるペットボトルから水をコップに注いでやると一気に飲み干し、ソファーにゴロンとし5秒以内に眠りにつく。他に会話はない。次女は私に体感温度が近いのか2日に一度は夜中に起きてくる。朝起きるとソファーに寝転んだまま携帯の着信、メールをチェックし、そのままスマホでフェイスブックを眺め目を覚ます。彼はいつも朝から文句を言っているなあ。彼女今日早起きだなあ。そう思いながら起き上る。ポーダブルラジオのスウィッチをひねる。今日は何を食べようか。昨日パンを買うのを忘れたからごはん炊くか。納豆と漬物と佃煮、卵も少し残っていたな。ご飯を3合炊く準備をして、冷蔵庫にある野菜や油揚げを確認し、今朝のみそ汁の組み合わせを考える。今日は大根と玉ねぎともめん豆腐しかないから白一色になってしまう。でもどうせなら白みそを使ってもっと白くしてしまおうか。 真夏でも、ごはんであってもコーヒーを入れる。電動ミルで豆をひいてからコーヒーメーカーにセットするだけ。賞味1分、毎朝ストレスがない。その日の天気をチェックし洗濯機をまわす。みそ汁をつくり終わりごはんが炊けた頃に家族が起きてくる。

 ラジオでネット以外から得られるニュースを知る。耳に入ってきたり来なかったりする。時に音楽に聴き入ることもある。演奏者をスマホのメモに書きとめる。朝食を食べるのはみな一緒だったりバラバラだったり毎日違う。子どもたちがそれぞれ起きる時間次第だ。真っ先に朝食を食べ終え、その日のゴミ捨ての準備をし、娘たちの保育園の準備をする。毎日必要なタオルなどを袋に詰め込み、ストックがないと昨日取りこんでおいた洗濯物の山にタオルを発掘しに行く。タオルがどうしても発見されない。昨夜洗濯物を畳んでおかなかった自分を呪う。もう息子を小学校へ行かなければならない時間だ。朝食を食べ終わり『妖怪ウオッチ』などのコミックをギリギリまで優雅に読んでいる息子を急きたて、ゴミ捨てがてら息子を送り出す。戻ると長女も次女もご飯に手をつけていないどころかパジャマさえ着替えていない。ため息をつきパジャマを着替えさせていると、猫がすりすりしてくる「アタシもごはん」。

 今日は娘たちふたり起きているだけまだましだ。どちらかが起きなかったり、泣きはじめたり、タオルが見つからなかったりすると少々パニックになる。娘たちがご飯を食べている間に洗濯物を干し終え、よしギリギリ、さあ出るぞという時に次女がむずかしい顔でふんばっている。しまった。今日は絶対大丈夫だと思って保育園で使う布おむつに家にいるうちに替えてしまっていたのだ。洗面所で布おむつをごしごししながら保育園でやるの面倒くさいからって紙おむつから布おむつに取り替えてしまった数分前の自分を呪う。へとへとになりながら娘ふたりをなんとかクルマの中に押し込み保育園へと向かう。ふたりを無事預け保育園のドアを閉めた時から私の仕事の1日がはじまる。

 ここ半年くらい、家で『天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々』(メイソン・カリー著/金原瑞人・石田文子訳/フィルムアート社)という本を近くに置き、短い時間ができると手に取っていた。小説家、哲学者、作曲家、画家、映画監督など、161人を取り上げ、それぞれの仕事、食事、睡眠、趣味などにどう時間を使い過ごしたかという本だ。何を成し遂げたかということにはほとんど触れず、ただただ彼ら、彼女らの仕事、生活習慣について書かれている。 85歳になるフランク・ロイド・ライト(建築家)は3番目の妻と毎日2、3回セックスをしていたこと。ドナルド・バーセルミ(小説家)が仕事をする時身だしなみに気を遣い、「カーキのズボンかコーデュロイのズボンにボタンダウンのシャツを着て、寒いときは濃いグレーのセーターを重ね」、ベランダでタイプライターを打っていたこと。それぞれの生活はそれぞれの作品の忠実な写し鏡であるらしいものもあれば、まったく意外なエピソードも多い。

 表現者にとって作品がすべてである。彼が、彼女がどんな生活をしていたって、何を食べていたって、どんな悪いやつだってどうでもいい。作品が私を捉えつづけてくれたらそれでいい。作品がすべてだ。それだけは受け手である自分は自分に嘘がつけない。私たちはいつも身勝手だ。編集者として、これまでミュージシャン、作家、芸人など、表現をなりわいとする多くの人たちに会った。舞台や作品以外の場所でも彼らに接し、その言動を垣間みた。嬉しかったりがっかりしたりいろいろした。作品が一番であることは確かなのだ。でも、一番おいしいものが食べたいからという理由でその料理店に通うわけではない。目的の半分以上はその店の人に会いに行っているし、その店の空気を味わいに行っている。そもそもおいしいってなんなんだろう。

 生活が、人が、思想を、作品を作る。ことは確かだ。生活、人間がみえる、あるいはまったくみえなくてもむしろみえないからこそそれを感じられる作品がいつも、私を動かす。