『夢のなかの魚屋の地図』 井上荒野

『夢のなかの魚屋の地図』
井上荒野・著(集英社 2017年)

 1時間以上電車に乗る予定がある、15分以上友達を待つ、天気の良い日に窓の大きなお店でお茶を飲む時のお供が欲しい、あともうちょっと家に帰りたくない。小さな理由をいくつも見つけて、私はしょっちゅう書店に寄る。
 けれど、あと1時間を一緒に楽しく過ごしてくれる本がなかなか見当たらないこともある。
 そういう時に、この人の本なら買ってみよう、と思う作家を何人か、頼りになる素敵な人として覚えている。
 その一人が井上荒野さんだ。
 短編のアソンソロジーや、文芸雑誌で読んだ文章を気に入ったのがきっかけで、どんな人かも知らないまま何冊か小説を読んでいた。
 井上荒野さんのエッセイ集を文庫で見つけて、街中で友達を待つ間、小さいコーヒーテーブルで読み始めた。
 20分ほどの間、子どものころの悩みや良い小説との出会いなどが綴られている冒頭で、これは面白い、井上荒野さんはこのような人だったのか、とあっという間に待ち時間が過ぎ、友達に会い、帰り道で電車に乗ってまた読み始めたら、井上荒野さんとお父様のことを書いたエッセイに、不意をつかれてボロボロと泣いてしまった。

 本には、お父様がご病気になったことや、お父様と同じ職業である小説家になった気持ちなど、濃厚な話もたくさんあったのだけれど、私が不意をつかれたのはとても小さな挿話だった。
 お父様の書斎には、小説を書く時に使う大学ノートが大きなダンボールに百冊単位で購入してあって、幼い井上荒野さんが、ノートを貰いに行くところ。

 勝手に持っていっても怒られはしないが、わたしはなるべく、父が部屋にいるときに調達するようにしている。ノートちょうだい。一冊でいいのか。それから父は必ず、待て、待て、といってノートをわたしから取り上げる。手を切るぞ。店先に並ばずにきたノートの表紙は端が鋭く尖っていて、うっかり触れると指の腹がスパッと切れることを言っているのだ。
 父は辞書を持ち出し、その堅い背表紙でノートの端をとんとんとたたく。そうやって鋭い角を潰していくのである。

 私の父はまだ元気で、仕事も続けているが、イラストを描く仕事をしているから、父はいつも家で仕事をしていた。
 そして、仕事柄、父の小さな仕事部屋には、薄いトレーシングペーパーから、黄色味がかった水彩用の画用紙、コピー用紙の束、水張りをする木の枠や大きな紙、掴みきれないほどの色鉛筆、カラーインクやカラーペン、アクリルガッシュ、スクリーントーン、あらゆる紙と文房具がいくらでもあった。
 私も小さいころ、ちょっと何か描きたくなるたびに、父の部屋のドアをノックして、好きな紙を貰いに行っていた。
 部屋中に積み上がる本や、まだ何も書かれていない紙たち。
 他のどんなことよりも、絵にまつわることを聞くといそいそと教えてくれる父の様子。
 井上荒野さんのエッセイから、紙に囲まれて机に向かう父の姿が一気に浮かんで、電車の中で涙と鼻水を慌てて拭いた。井上荒野さんのお父様も、父も、娘が声をかければ紙の向こうから振り向いてくれる。私たちは紙やノートを貰って好きなものをかく。

 全く意図していないときに、自分でも忘れていた原風景のようなものが目の前に現れる時、読書の楽しさで胸がいっぱいになる。
 電車の中でひとり、泣いて慌てながら、私はとても楽しくて嬉しかった。
 自分にとって特別なものになる文章は、いつでもどこかの本の中で、こっそり待っていてくれる。