06. 冬の日曜日

tothemars06

友達がIKEAへ行くというのでついていった。冬の日曜日のことだった。
IKEAは以前一度訪れたことがある。やたらと広くて、歩いても歩いても出口に着かず、途中で気分が悪くなったことを覚えている。
その時と同じように、その日も家族連れがたくさんいて、いや、家族連れしかいないようにさえ思えた。店内はとても混んでいた。

IKEAって不思議な店だと思う。あんなにものがあふれていて、しかも買えない値段のものは一つもないのに、進めば進むほど購買欲が減っていく。あれも欲しい、これも欲しいではなく、どれもいらないような気持ちになってくるのだから。

ここで購買欲が刺激されるひともいるのだろうか。いるとしたらどんなひとなのだろう。
あたりをキョロキョロと見回していると、私の隣りに若い女性が現れて、わあ、かわいい!と声をあげた。彼女が棚から取り出し、抱きかかえたのは、折り畳みのできる木製のミニテーブル。100円均一の店にもありそうな安っぽい丸テーブルだった。後ろから恋人らしき若い男性が、その様子を微笑んで眺めていた。

そうか、IKEAに来て、IKEAで買うことを楽しんでいるひともいるんだな。
私はひとりごち、それから、では、どうして私はIKEAを楽しめないのだろう、と考え始めた。
そして、出口までの長い長い道のりを、あれこれ商品を手に取りながら考えに考え、たぶん、IKEAには買えないほど高いものがないからだろう、という結論に達した。

手に入らないものは大抵の人に存在する。いや、きっと世界中のすべてのひとに買えないものは存在する。でも、だからといって、それが悲しいこととは限らない。手が届かなくても、こんなものが買えたらステキだろうな、そう思えるものがあるというのはいいことだ。
なぜなら、私は、買い物の愉しみとは、逡巡と葛藤――手に入らないならどうしようか、と考えたり、廉価な代替え品を探したり、はたまた思い切り違うものに目を向けたり、もしくは潔くあきらめたり――にあると思うから。
買えないことの先には様々な選択が無限に広がっていて、その上でやはりひとは何かを買う。その広がりと集約、買えないことからスタートする着地点までの道のりさえも、私には面白いことなのだ。

その日、友達は何も買わなかった。
部屋の模様替えのためにIKEAに来たはずなのに、本当に何一つ買わなかった。
彼の運転する車に乗り込むと、私は尋ねた。
「どうして何も買わないの?」
「これというものがなかったから」
私は少し驚いて、それから今日買ったものを思い返した。
馬の形のスポンジと赤と白のスキージ、それから、お家の形をした白いフレームのデスクサイズの小さな温室。
どれも可愛いと思ってカートに入れた。だけど、これというほどのものではない。ましてや特別欲しかったわけでもない。ただ、欲しいものがなかったから、半ば意地になって可愛いものを探し出し、見つけたら見つけたで、見つけた以上は買って帰ろう、そう思っただけだ。

私は窓の外をぼんやり眺めながら心の中でつぶやいた。
これというものがないから買わないなんて選択肢、考えもしなかった・・・。
なぜなら――その言葉を口にしたら、今後はきっと私が驚かれる番になるだろう――私にとって一番の退屈は、欲しいものがないこと以上に手ぶらで帰ることだから。

(2016.3.3)