第一回 生まれたままの姿で 真舘嘉浩

朝。といっても時間はまちまちなのだけど、起きると僕はまずお風呂の湯を沸かす。湯舟に浸からなければなかなか頭と身体が起きてくれない。同時に洗面所にある古いiPodを繋いだアクティブスピーカーの電源をONにする。自動的にiPodの中に入っている曲がシャッフルされて流れだす。

たいていの場合、池波正太郎の文庫本を読みながら数曲を湯船で聴いているうちに、「これだ!」という今日一日の出だしの気分を決定する曲が流れてくる。それが元気のいいザ・プリテンダーズの曲だったり、ブロッサム・ディアリーのスローな曲だったり、勝新太郎だったり、カエターノ・ヴェローゾだったり…。

ジャンルに節操はなくとも自分がiPodに移したことですでに気に入っている、もしくは気になっている曲しか流れてこないのだから、感情にヒットする確率はたとえばジャンルの特定されたインターネットラジオをかけているよりも高い。それはFMラジオからとても自分に近しく、また、少し忘れていた音楽がふと流れてくるような気持ちと似ているのではと思う。

「これだ!」という曲の次以降の曲はほとんど気持ちに入ってこない。というよりその曲ですでに今日一日が動き出しているからなのだろう。ほとんどの場合が今の自分に足りない感覚だったりするので、特に仕事上の新しいアイデアに向き合わなければならない朝などは、「これだ!」という深度が深いほど幸運を感じてしまう。僕は見ないけどテレビで毎日の星占いとラッキーアイテムを確認する作業なのだろうか?

このお風呂用iPodと同じように、他のユーザーとの関わりもほとんど無い気楽さからPinterest(ピンタレスト)という写真・画像共有のSNSサイトをずっと続けていて、そこではやはりラジオ局のチューニングをするように自分の好みのボードだけをフォローしてWEB上で閲覧することができる。

そのボードから毎日見慣れたものや忘れていたもの、しかしどこか自分の感覚にあったものが流れてくるので、これも一日のうちの欠かせない生活の儀式になってしまった。Pinterestにも(もちろん僕が選んでいるからだけど)音楽のデザインや画像が多く流れてくるので、こちらは音の鳴らないiPodのシャッフル版のようだ。

街を歩いていたり、カフェで打ち合わせをしたりするとき、ふと耳に入る音楽に心奪われる場面も多いけれど、自らレコードを選んでターンテーブルにのせて聴く音楽とはまた違った喜びを、偶然と必然のバランスのとれた「持ち合わせのシャッフル」から毎朝お風呂で感じているといっていい。

そして長い外出の時間があったり、詰めた仕事が終わった時にも湯船に浸かる。平均一日に二度浸かる。自分の中の空気を入れ替えるためなのだけれど、緊張をほぐしたそこでもiPodはシャッフルでやわらかな女神のような選曲をしてくれる。

先ほど湯船の時間にかかって気に留めた曲はThe Softies(ザ・ソフティーズ)の『It’s Love』というアルバムから「I Can’t Get No Satisfaction, Thank God」。名前の通りソフトなグループのソフトな演奏なのに、この選曲は素晴らしい。女神よ今夜もありがとう。

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