美術館への行きかた。

第二回 印象派から考えるアートの文脈

アートを難解なものにしている大きな要因の一つが、「文脈」の存在。平たくいえば時代とともに価値観は変わるということだけれど、美術には「何でこれが作品?」と言うものが本当に多い。

中学生の頃、美術の教科書で出会ったデュシャンの作品は、何を持ってして「素晴らしい」と思えば良いのか、当時はまるで理解できなかった。だって、市販の便器を作品だとして教科書にまで載っているのだから。それはなぜ作品と呼ばれているのか?奇をてらうことは斬新なのか。理解に苦しむのも無理はない。

奇をてらうということではないけれど、美術は人と同じことをやってもそこに価値は生まれにくいのは事実だ。ある種のトレンドのようなものはあっても、二番煎じは通用しないのがアートである。その理由は別の機会に任せる。

さて、すでに誰かがやったことをやっても意味がないというところに、アートにおける文脈を理解するヒントがある。印象派を例にとるとわかりやすい。

印象派は19世紀後半に、フランスで立ち上がった芸術運動だ。モネやドガは中でも有名で、多くの人が一度くらいどこかでその作品に触れているのではないだろうか。その絵画技法を形容するのなら、せっかく綺麗に描き上げた作品を雨ざらしにして、絵の具が溶け合ったキャンバスのような感じ。境界が曖昧で、もやっと、どろっとした画面が特徴的だが、印象派の画家たちがなぜこのような表現にたどり着いたのかには背景がある。この時期には印象派から続くように、ピカソとブラックが「キュビズム」と呼んだキューブで構成された絵画の誕生などもあり、抽象表現が一気に花開いた時代でもある。

それまでの絵画といえば、貴族の肖像画が代表的なように、超リアルに描きあげる(写実的)のが主流であった。というかそれ以外は存在しなかった。そこに写真という技術が発明された。リアルに描くだけならば、写真で十分になったわけだ。あるいは、写真の登場によりリアルに描くことから、解放されたとも言える。画家たちはそれならばと喜び勇んで(かどうかはわからないけれど)道具を抱えて外へ出て行った。ちなみに当時の絵画はアトリエで描くことが中心だから、外で描くことすらも画期的だった。

印象派の画家たちは結果的に「光」や「時間」「動き」といったものを描こうとしたのだと思う。故に印象派の作品は同じ構図で別の時間に描いた作品群なんていうものも多数存在している。光を描こうとするとモノの輪郭、境界は曖昧になって行った。これが印象派が誕生した背景である。

そのもっと先の時代には「市販の製品を美術館に持って行ったら、見る人が皆その意味を考えるんじゃないの?」と言うことでデュシャンの便器の作品などが生まれたり(レディ・メイド)、「大衆文化を作品としたら新しいんじゃないの?」ってことでポップ・アートと呼ばれる一連の活動があったり。全ては脈々たる価値観の変容なんだと思えば、美術の見方が少しわかってくる。少なくとも美術の枠の中で、難解な作品たちが評価されている理由は見当がついてくる。早い話が前の人と自分は違うことをやろうという連続なのだ。

この文脈はデジタルやインターネットなど新しいメディアの登場で一度リセットされる。同時多発的に瞬く間に広がったその産業は、世界をフラットに、ゼロベースから新しい価値の創造を始めたのだけど、それはまた別のお話。

便器って美しい。ということが作品たらしめている訳ではない。
マルセル・デュシャン『泉』 アルフレッド・スティーグリッツによって撮影された写真

モネによる『ルーアン大聖堂』同じ構図で時間帯を変え何枚も描いている
wikipediaのスクリーンショット