私のかけら 24  長谷部千彩

――これはかけら。季節のかけら。東京のかけら。私のかけら。

3月×日 B:The Beginning

ネットフリックスで公開されたオリジナルアニメ『B:The Beginning』(全12話)を観る。連続殺人犯を追うクライムサスペンス。『キル・ビル』のアニメパートの監督としても知られる中澤一登氏の作品ということで期待していたのだけれど、物語が複雑で私にはよく理解できなかった。アニメに限らず、昔は、サスペンスやミステリーの類が大好きで、こことここがつながって・・・とか、これがあれの布石となっていて・・・なんて、夢中になって謎解きをしていたのに、近頃は、人間関係が少し入り組んでいるだけで降参してしまう。集中力がなくなっちゃったのかな。ハラハラすると疲れを感じるようになって、無意識のうちに緊張を避けている。わかり易さに流れるばかりではダメですね。でも、『B:The Beginning』、画が綺麗なので、よく理解できずとも、そこそこ楽しめた。いまのアニメって、本当にクオリティが高いから、技術に感心しているだけでも、最後まで観れちゃう。すごいと思う。

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3月×日 七年目

今日で東日本大震災から七年目。今年は黙禱しようと思っていたのだけれど、その少し前に睡魔が襲ってきて、いつの間にか眠っていた。目覚めたのは午後三時。スマートフォンで探すも、式典の中継は終わっていた。青空。

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3月×日 風化

避難生活を送っているひとがまだいるのだし、風化させてはいけないと私も思うけれど、七年経ったいま、風化させないとは具体的にどういうことをいうのだろう、と思ったりもする。できることは一体何?募金をすること?被災地に足を運ぶこと?私は相変わらず原発の再稼働に反対だけど、そういった話題も七年経ってめっきり減った。関連したニュースが記事になっているときは目を通すようにしているけれど、記事として取り上げられることも少なくなってしまったと思う。被災地から離れた場所に住んでいると、どうしても震災によって起きた問題と距離ができてしまう。これでいいのだろうか。忘れないことが大事だと言うならば、私は七年前のことを忘れてはいないけれど(その頃、熱心に日記をつけていたから)、覚えているだけじゃダメなんだろうなあ。何か足りないという気がする。風化させないために何をすればいいのだろう。そして、そこで、風化させないとはどういうこと?という疑問に立ち返る。モヤモヤ・・・。とりあえず募金でもしてみようか・・・。

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3月×日 食後のコーヒー

今日はお天気も良く、暖かかったので、お昼は近所のカフェでとった。食後のコーヒーを飲みながら、ツイッターを眺めると、タイムラインは昨日に引き続き森友文書改竄の話題一色。もう、いまの政権、底が抜けちゃってる、という感じ。国民として怒りを感じるのはもちろんだけど、それ以前に、私はとんでもない国に生きているんだなあ、と呆然としてしまう・・・。

帰宅後、ベランダの鉢を覗くと、チューリップに蕾が。これから大きく膨らんで、咲くのはきっと四月に入った頃。植物を眺めている分には本当に平和。それに対して人間社会で起きていることはあまりに醜悪。ギャップが激しくてクラクラする。

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3月×日 過渡期

病院の帰り道、ふと見上げると、街路に立つ桜が花開いていた。嬉しくなってスマートフォンで写真を撮る。青空に映えるピンク色の薄い花びら。気温も20度を超えて、まさに春。

今日はRさんとランチ。Rさんの仕事の話を聞く。私から話せることは特になかった。これといって報告するようなニュースもなく(5キロ痩せた話はしたけれど)。この半年ぐらい、こんな感じ。ぼんやりとした毎日を過ごしている。「過渡期なんじゃないですか」と慰めてくれるRさん。「そう思いたいけど」と答える私。確かに、この先、いままでとは違うことに自分の興味が向いていきそうな予感はしているけれど・・・。それが何なのか、はっきりしないのがもどかしい。人生はいつも先が見えない。

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3月×日 未来

このままずうっと生きていったその先、私はどんな暮らしをすることになるのだろう―そんなことを時々考える。気が早いと笑われるかもしれないけれど、自分がどんなおばあさんになるのか興味がある。
健康だといいな、と思う。自分の足でしっかり歩けるといい。足が弱ると心も弱ると聞いたから。
つつましい暮らしで構わない。でも、美術館に行ったり、コーヒーを飲んだり、本を買ったりする余裕は欲しい。
贅沢が言えるなら、旅も細々続けたい。海外に行くのは億劫になるかもしれないけれど、国内にも行ったことがない場所がたくさんある。
私の希望はそれぐらい。割とありきたりなセカンドライフを願っているのだと思う。想像力が乏しいのかもしれない。でも、だからこそ、なんとなく私の望みは叶うような気がする。飄々と、淡々と。いまの暮らしとそう変わらない毎日を。楽観的だけど、そう思う。